◆創立者:聖マキシミリアノ・マリア・コルベについて

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父略歴 1894年-1941年

 マキシミリアノ・マリア・コルベは、ポーランドの織物職人の家に生まれ、13歳で司祭を目指してコンベンツァル・聖フランシスコ会に入り、1918年に司祭になりました。大神学生時代に、ローマで、6人の同志とともに「無原罪の聖母の騎士会」という信心会を創立して、聖母マリアに対する信心を広めました。

 

 その後、ポーランドに帰り、月刊誌『無原罪の聖母の騎士』を発行し、1930年にゼノ修道士ら5人とともに東洋の宣教のため来日し、長崎で聖母の騎士修道院と印刷所を開きました。月刊誌『聖母の騎士』を発行するなど宣教活動に励み、多くの人びとに感化を与えました。『聖母の騎士』誌は現代でも多くの購読者を得ています。

 

 1937年、コルベ神父はポーランドのニエポカラノフの修道院長に選任され、日本を去りました。

 

 その後、第二次世界大戦の勃発により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕えられ、アウシュヴィッツ強制収容所に送られました。そこで、死刑を言い渡された妻子ある男性の身代わりを申し出て、餓死牢で注射を受けて亡くなりました。

 

 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15.13)というキリストの愛を実践した現代の殉教者で、1982年10月10日に列聖されました。  

 

 現在、日本におけるコンベンツァル聖フランシスコ修道会は、東京、瀬戸、春日井、西宮、長崎、湯布院、奄美にあります。

■会の創立者:聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の熱き想い

 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父を、このけがれなき聖母の騎士会創立に駆り立てた動機は、聖フランシスコが中世期に燃え立たせた神と隣人への愛の精神と、神の母マリアに対する子としての愛に燃えてのことでした。  

 

 さらに今世紀において、けがれなき聖母がお与えになった啓示は、コルベ師にとって、この精神を生活の中で実践することでした。  コルベ神父は、神からもらった愛を分かち合うため、あらゆる手段を使うことを考え、最終的には自分の命も道具にし、神から授かった愛の分かち合いを体現したのです。

 コルベ神父は、『本物の愛に出会ったら、人は燃える。そして、その燃えた炎は周りに移っていく』と言っています。そして、その愛の炎は今も人々の心を照らしています。